矢切の渡し

〜「野菊の墓」の舞台になった都内唯一の渡し場〜



矢切の渡しは、主に近郷の農民が対岸の農耕地へ渡るなどの目的のために、元和2年(1616年)に、 徳川幕府が設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつである。
それ以外の地点では箱根の関所並に厳しく、河を渡る事を禁止している。
対岸は戦国時代、小田原北条氏と安房の里見氏の一大合戦を交えた古戦場でもある。

都内に残る唯一の渡し船で、今も昔ながらの手漕ぎの和船が松戸市下矢切と東京都柴又を往復している。
この渡しと矢切の里の素朴な風景は、千葉県の生んだ歌人でもあり 小説家でもある伊藤左千夫の小説「野菊の墓」(1906年)の舞台になったことで全国的に有名になる。
現在、松戸市矢切側の丘陵地に野菊の墓記念碑が建立されている。
その後、昭和57年(1982年)には歌謡曲「矢切の渡し」の大ヒットにより、再び脚光を浴びることになる。
その歌碑は柴又側にある。

矢切の地名の由来は、平和に暮らしていたこの辺りの人々が度重なる戦争の苦し みを味わい、戦いで使われた弓矢を呪い「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」を悲願して 矢切の地名となる。

●運行時間 9時半頃から日没まで。雨天荒天の場合は欠航。
            対岸に旗が翻っていれば運航している。(片道約5分)

  期間    毎日運行=1月1日から1月中旬、 3月中旬から11月30日
         土日祝日=12月1日から12月31日、 1月中旬から3月中旬
        (庚申の日は運航) 

 片道料金 大人100円・子供50円(自転車やペットは乗船できません)

 乗船定員は約30人。なお風が強い時、客待ちの多い時は動力(モーター)を使用している。


                

 

 

 


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